積小為大2
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3.松下幸之助(1894〜1989) 明治末期、豊田は外遊先のアメリカで自動車産業の素晴らしさを目の当たりにし、その発展の可能性を感じ取った。晩年、息子の喜一郎に「これからは自動車工業の時代だ。日本も立派な自動車をこしらえなければ世界的な工業国とは言えない。国への恩返しに私は織機で国のために尽くした。これからの私の新しい仕事は自動車だ。お前は自動車を作って国のために尽くせ」と告げた。豊田は織機機械で蓄えた資金を惜しみなく注ぎ込んでトヨタ自動車の基礎を築いた。 自動車開発に取り組んだ息子喜一郎も出身地の報徳社社長を長く務めていた。 豊田の精神は現在でもトヨタ自動車において様々なかたちで受け継がれている。 「自動化ではなく自働化」「改善し続ける」「ムリ、ムラ、ムダを無くす」 豊田佐吉という偉大な発明家・経営者は尊徳思想によって支えられていた。 和歌山県生まれ。小学校4年で大阪に丁稚奉公に出る。22歳で独立。電球ソケットの製造を始め、大正7年松下電器器具製作所を創業し二股電球ソケット・アイロン・ラジオなど次々と大ヒットを飛ばし、高度経済成長に乗じて事業を拡大。世界でもトップクラスの電器メーカーに育て上げる。 戦後いち早くPHP研究所を立ち上げ「物心両面の繁栄を通じて平和と幸福をもたらそう」と宣言する。松下は「ただ稼げばよい、働けばよいと考えるのは間違いである。企業活動は営利と社会正義の調和に配慮し、国家社会の発展を計り、もって社会生活の改善と向上を目指すという経営理念を持つべきである」とした。これは道徳経済一元論であり、まさに尊徳思想である。 また、昭和54年には「政治を正さなければ日本は良くならない」をスローガンに、政治家や経営者など日本のリーダーを養成するため「松下政経塾」を私財70億を投じて創設した。こうした松下の活動は推譲の精神に相通じるものである。 12

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