積小為大2
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4.安田善次郎(1838〜1921) 5.御木本幸吉(1858〜1954) 冨山藩の下級武士の子として生まれる。 安田商店を設立し両替商を本格的に営む。これが安田銀行の始まりである。後に富士銀行・みずほ銀行として発展していく。また、銀行に加え、損保会社・生保会社も次々に設立し金融財閥としての基礎を築く。これが現在の芙蓉グループの前身である。 安田は両替商の商いを天職と定め、『報徳記』を座右の書とするようになり、金次郎の生き方をそのまま実践しようとした。分限(分度)を定めて倹約貯蓄に務め、金の使い方も教えに従い一家言持っていた。 「死に金は一銭たりとも使わない。金は生かして使う」こう言って、至誠実行をモットーに生きた。 三重県鳥羽生まれ。14歳の実家のうどん屋を手伝い、青物商売も始める。20歳で東京見物に出かけ、日光にも立ち寄った。その際、金次郎の話を聞き大きな感銘を受け、尊徳思想の強烈な信奉者となっていった。 当時、世界の装飾品市場では天然の真珠が高値で取り引きされていたため、志摩ばかりでなく日本全国でアコヤ貝は乱獲され絶滅の危機に■していた。御木本は真珠の養殖を思い立ち、実験を重ねて幾多の困難を克服し、真珠養殖の商業化を実現する。この情熱と忍耐力は尊徳思想の賜物であろう。 「海の二宮尊徳たらん」と。 真珠を宝石市場の中心に位置づけようとあらゆる努力をし、フィラデルフィア万博に自慢の真珠を出品して「世界の真珠王」と呼ばれ名を上げた。 13

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